家の中で起きる小さな故障に対して、私はいつも「まだ使えるから大丈夫」と自分に言い聞かせ、対応を先延ばしにする癖がありました。その最たる例が、トイレのタンク上にある手洗い管の水が出なくなった時でした。ある朝、用を足した後にいつものように水が出てこないことに気づきましたが、私は深く考えませんでした。すぐ隣に洗面台があるのだから、そこで手を洗えば済む話だと楽観視し、修理を依頼する手間や費用を惜しんだのです。しかし、その安易な判断が、数ヶ月後に我が家を襲う大きな悲劇の種になるとは、当時の私は知る由もありませんでした。手洗い管から水が出なくなってから一ヶ月が過ぎた頃、トイレの床に小さなシミができているのを見つけました。結露だろうと思い、拭き取って済ませていましたが、次第にそのシミは広がり、トイレ全体に湿った嫌な臭いが漂うようになりました。不審に思ってついにタンクの蓋を開けてみると、そこには驚くべき光景が広がっていました。手洗い管へと繋がるはずの細いチューブが接続部から外れ、タンク内の壁に向かって激しく水を吹き付けていたのです。蓋を閉めている間、その噴水のような水はタンクの蓋の裏側を伝い、タンク背面と壁の隙間から床へと絶え間なく滴り落ちていました。慌てて専門の修理業者を呼びましたが、時既に遅しでした。漏れ出していた水は長い時間をかけて床のクッションフロアの下まで浸透しており、合板の下地が腐敗してボロボロになっていたのです。修理費用の見積もりには、タンク内部の部品交換だけでなく、床材の全面張り替えと壁紙の修繕が含まれており、その額は当初の想像を遥かに超える二十万円以上に跳ね上がりました。職人さんから「水が出なくなった時にすぐ相談してくれていれば、部品をはめ直すだけで済んだかもしれないのに」と言われた時、自分の不精が招いた代償の大きさに言葉を失いました。手洗い管から水が出ないという異変は、タンク内部で異常が起きているという明確な警告灯だったのです。それを放置したことは、火災報知器が鳴っているのにスイッチを切って寝るのと同じくらい愚かな行為でした。住宅における「小さな不便」は、常に大きな崩壊の予兆を含んでいるのだということを、私はこの手痛い出費と工事の騒音の中で、身に染みて理解しました。